2007年12月31日 00:07
先日 San Lázaro の日 − Yoruba Andabo 3/3 にて UP した動画の Rumba について、「有名な Salsa の曲だと思う。」と書いたのですが、 Mofongo's 100% PUERTO RICO - Borinquen te llama - の mofongo さんがコメント欄で教えてくださった。
あの曲は、Silvio Rodríguez の "El Necio" という曲で、「宗教/精神的な歌詞だけど、彼は経済制裁とガンタナモ基地へのアピールを込めてます。」のだそうだ。
んでもって調べてみたら、
"Es una canción de marketing, de precios. Y para que nadie se imagine que soy santo, voy a poner el mío (por ahora): El levantamiento del bloqueo a Cuba y la entrega incondicional del territorio Cubano que E.E.U.U. usa como base naval en Guantánamo".
という Silvio 自身の言葉がありました。
YouTube にはいろんなヴァージョンの Silvio Rodrígues の "El Necio" があって、いくつか観たもの全て、感動で涙が滲み出ました。
折りしも、昨日 BS1 は何故か Fidel day で、2003年にフランスのテレビ局が制作した Fidel へのインタビュー番組5本、10:10から15:00まで観続けた後、その余韻もあったのかもしれません。
インタビューの内容は、Fidel は本当にキューバの現状を誤認しているのか知らないフリをしているのか、訝しく思ってしまうところも多々あったのですが、Fidel の革命への情熱、体制を維持するための情熱を強く強く感じるものでした。
私は政治に詳しくないのですが、弱者を踏みつけにしている国や人があるのは確かなことで、Fidel が目指したものは素晴らしい理念だと思います。
繰り返される "Yo me muero como viví" 。
語学力が足りなくてちゃんと理解できているかわからないのだけど、直訳すると「私は私が生きたように死ぬ」になる。
me muero は morirse の活用で、「私は死ぬ」なんだけど、英語でも die は別の使われ方したりするでしょう? be dying で。たぶん直訳通りだと思うのだけど、よくわからんのです。
me muero de (por)〜だと I'm dying for (to)〜になるんだと思うんだけどねぇ。。
兎に角、自分の生き様に自信がなければ言えない言葉だと思います。
悲しいかな人は、自分の欲得をまずいちばんに考えてしまうもの。
キューバ人だって、例外ではない。むしろ、彼らほどそれを隠さない人々も珍しい。
キューバではいろんな階層の人と交わってきたけれども、政府高官夫妻は、年に数回の海外出張もして息子はスペインに留学して、ロレックスの時計をしていた。贈り物だって言ってたけど、どういう種類の贈り物なのか。。
まぁ、政府高官とかエリートたちは、一般の人たちとは人物が全く違っていて、考え方も違うしものすごく働いている。
革命以前の富裕階層のおじいちゃんは、ガチガチの Fidelisto(革命賛成派)だったのだけど、米国に亡命した息子からの仕送りで、贅沢に暮らしていた。
普通に比べたらずいぶん贅沢に暮らしているにもかかわらず経済的不足を嘆くので、「革命がなければ、あなたは今も大金持ちだったんじゃない?」と言ったら、凄く怒って「でも革命は素晴らしいものなんだ!」と言ってた。でも、やってること違うと思った。
中流の人々はというと、Fidel から与えられた特権(医療とか学問など)を有難く頂戴し、「利用しない奴は馬鹿だ」と、いい意味でも悪い意味でも革命を享受していて、はっきりとは言わないけれども裏で舌を出しているような感じ。
そういう人たちはまだマシ。ちゃんと現政権から与えてもらっているものを自覚しているから。
自覚のない人たちは、足りないものばかりを数え上げる。この方がずっと多い。
どうしてそうなるのかもわかる。一生懸命勉強して学問を身に着けても、それは現実の生活に反映しない。「正規の職についても月10ドルにしかならない。それだったら、5ドルのTシャツを買って道で10ドルで売った方が良い収入になる。」と言われれば、反論できない。
若い Fidelisto も知っている。親兄弟は既に米国に亡命していて、「より良い生活のためにお前も来いと父に言われているが、どう思うか?」と訊かれた。Fidelisto も、裕福にはなりたいのだ。「あなたが今喜びをもって励んでいるような職業には就けないと思うよ。」とだけ答えた。
現政権に感謝しつつ倹しくしかしほどほどに今のキューバを泳ぎ生きている人もいる。「資本主義の国では、私達のような人間は今のような暮らしは出来ない。」学のない彼女は言う。いちばん真っ当な考え方だと思ったけど、上手く泳ぐ、つまりちょっぴりズルをして生きている。
いちばん強烈に革命への感謝の言葉を言ったのは、最下層のおばあさんだった。今も厳しい生活をしている。「Fidel が死ぬときは、私が死ぬときだ。」と言ってた。
日本でもそうだけど、ぬるま湯に浸かっていると、ってことなんだと思う。
Fidel は、国民を甘やかし過ぎたんだと思う。
現政権を熱烈に支持している人は、少ないと思う。有り難味をわかっていないから。
そして Fidel は、そういう社会を作ってしまったのだとも思う。というか、人々がついていかなかったと言うか。。
キューバに資源があれば、と思う。
そう言えば、国民が太り過ぎたところで資源が尽きてしまった国もあったか。。外国人労働者で溢れている国もあるよね。
人は、楽したいからね。
それでも人々は、キューバ人であることに誇りを持っている。
この人々の熱狂と、前の動画にある革命時の民衆の熱狂。
一度革命広場での Fidel と Chavez の演説を見に行ったことがある。
演説前に流れたのは、Silvio Rodríguez の歌。
いつもその歌が流れるのだと言う。この歌だったかどうかは定かではないのだけど、革命広場を埋め尽くす人々の大合唱となった。
たぶん人々は、自身がキューバ人であること、革命の子だということは、わかっているのだと思う。
Silvio Rodríguez はキューバのみならず中南米の英雄でもあり、それはその精神性に所以する。
中南米には、と言うより世界の多くの国では大多数の人が虐げられ搾取されていて、「それはおかしいだろう」と強く訴えているからだと思う。あまり歌を知らないのだけど。。
Nueva Canción 、Nueva Trova の出自は、革命の歌である。それは米国でも同じように社会批判はフォークソングで歌われてきた。米国の現状は知らないし、日本で社会批判をするフォークソング(ニュー・ミュージック)って、ほとんどなかったと思う。そうか、今は Rap でやっているのか。
中南米での Nueva Canción の歴史には、凄まじいものがあると思う。そういった歌は今も歌い続けられていて、それはそのときの苦しみが今も続いているからなのだけれども、その担い手達はときに命をはって歌い、民衆からの支持は絶大である。
Silvio はキューバの革命政権(Fidel による現政権)にも多くの物言いをつけてきていて、政治家となるのを忌諱してあくまでも "歌" で戦い続けていたのだけれども、やはり現政権に盾を突いているからということで音楽活動がし難くなったり、政治家にならざるを得ず政権入りをしたと言う話を日本人から聞いたことがある。それは論調をトーンダウンさせるためとか、自身に政権の責任の一端を負わせるためとか、まぁいろいろあったのだろうと思う。
この年にプエルトリコで行なわれたライブには、mofongo さんがいらしてる 。
El Necio は、1995年にリリースされたアルバム "Silvio" に含まれている。
タイトルは、"愚か者" と訳せばいいのか。
歌詞は、当に "革命家たること" なんだと思う。彼の固い決意が歌われています。
read more に丸写しだけど、入れておきました。


















































